山本篤(静岡県聖火ランナー)のパラリンピック競技種目とメダルの色!

こんにちは!けんたろうです。
東京オリンピックの聖火ランナー
静岡県代表に決まった
リオデジャネイロ・パラリンピック
陸上走り幅跳びの山本篤選手。
北京とリオのパラリンピックでは
走り幅跳びで銀メダルを獲得。
IPC陸上競技世界選手権では
金メダル獲得の実績もあります。
そんな山本篤選手の
障害の内容とこれまでの道のりを
ご紹介したいと思います。
山本篤選手の障害とは?
山本篤選手は静岡県掛川市出身で
スズキ浜松アスリートクラブ所属です。
IPC陸上競技クラスはT42です。
ここでT42とは何の略か
解説しておきたいと思います。
Tとはトラック競技の頭文字です。
42は障害による制約を表す数字で
11から58まであるのですが、
小さい数字ほど障害による制約が
大きいことを示しています。
ちなみに山本選手の42の数字は
切断等による障害のカテゴリー
に属しています。
山本選手は小さいころから
スポーツが好きで小学校で野球
中学校ではバレーボールを
やっていました。
高校でもバレーボール部に
所属していましたが、
高校2年の春休みに
スクーターでの事故が原因で
左脚を大腿から失いました。
しかし、ここからが
山本篤選手の凄いところです。
金メダルや世界新記録を樹立
義足が必要になったことから
義肢装具士に興味を持ち、
日本聴能言語福祉学院の
義肢装具学科に入学します。
ここで義足スポーツ研究者の
稲葉氏から陸上競技を勧められます。
それから100m走などでメキメキ
頭角を現します。
義肢装具士の国家資格を取得し
就職も決まっていたのを辞退し、
パラリンピックを目指すため
大阪体育大学体育学部に入学。
健常者と同じ陸上競技部で
本格的なトレーニングと理論で
100mや走り幅跳びの記録を
次々と塗り替え、世界ランキング
上位の実力を身につけました。
2008年スズキ(株)に入社。
北京パラリンピックでは、
100mで5位入賞
走り幅跳びで銀メダル獲得。
当時、日本パラリンピック陸上界の
義足アスリートとして初のメダリスト
に輝いています。
2012年のロンドンパラリンピックは、
100mで6位
200mで8位
走り幅跳びで5位入賞
をはたしています。
その後、2013年、2015年の
IPC陸上競技世界選手権で
2大会連続の走り幅跳び連覇、
金メダルを獲得しています。
2016年には世界新記録を樹立。
その後記録は塗り替えられましたが
今もなお世界トップレベルの
実力を発揮しています。
再び世界の頂点へ
山本篤選手は元々運動センスや
才能があったのかもしれませんが、
それ以上に努力の人だと思います。
自ら義肢装具士の国家資格を
取得したり、
大阪体育大学大学院で
運動力学を研究し、
日本記録を更新し続けたり、
自らに課したきついトレーニングに加え
科学的分析と理論で
自らの記録を伸ばし続け、
理論の正しさを証明して見せました。
これこそ文武両道の神髄でしょう。
常人にはとても真似できない
山本篤選手の凄いところです。
そんな山本選手は
郷土、静岡県の誇りです。
リオパラリンピックでは
再び世界の頂点を目指しましたが、
北京に続き銀メダルに終わりました。
それでも大変な偉業です。
郷土が産んだ素晴らしい
アスリートの一人です。
東京五輪2020聖火ランナー
山本篤選手は、
2020東京オリンピック聖火ランナーに
静岡県から選抜されました。
「自己実現を図り、
夢をかなえた人」
のテーマにまさにピッタリで
当然の選出でしょう。
山本篤とはどんな人なのか?
聖火ランナーとしてその雄姿を見る前に
ぜひこの記事から彼のことを
少しでも知っていただけたら
とても嬉しく光栄に思います。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
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